
札幌、千歳、大阪、東京、ニューヨーク
僕は割と色々な場所を点々としてきた。
特に子供のころ、親の仕事の都合で何度か引っ越しをして、新しい友達を作って、新しい土地に馴染んでいく。そのなかでひとつだけずっと不思議だったことがある。
それはどこに行っても、みんな同じ遊びをしていたということだ。
缶蹴り、だるまさんが転んだ、松ぼっくり戦争。言葉遊びも大体同じ。地方が変わっても、学校が変わっても、林間学校で他の土地の子達と遊んでも、子供たちがやっていることはほとんど一緒だった。初日に「あ、それ知ってる」ってなる。知らない土地なのに遊びだけは知っている。あの安心感はなんだったんだろう。
4歳とか5歳の子供が、誰に教わったのか分からないまま同じことをやっている。全国で。子供が同時発生的に同じことをやっているって、今考えたらすごくないだろうか。
面白いことに、これは日本だけの話じゃないらしい。タイ、中国、ロシアなどの子供の遊びを比較すると、地理的にも歴史的にもまったく繋がりのない文化圏で、驚くほど似た構造の遊びが独立して生まれていることが確認されている。当たり前だがこれらの遊びには公式な説明書なんかない。子供が子供に教えるという形で、何世代にもわたって伝わっている。
この話を思い出したのは、盆踊りの構造を調べていた時だった。
僕はいまYATARAと名付けた新しいジャンルを作る試みで盆踊りの研究をしているが、調べていくうちに面白いことが分かってきた。盆踊りには56拍の基本構造がある。そしてこれが全国でほぼ共通している。
56拍。14小節。これが1サイクルだ。内訳は、12小節のメロディと2小節のリフ(三味線が弾くつなぎの部分、掛け声で言うと「ハイ!ハイ!」みたいなところ笑)。この12小節のメロディ部分が面白くて、ここは土地によって違ってみんな色々工夫しているんだけど、なんとなく共通しているのは、シンコペーションで始まるところ、奇数の割り方を使うところ、合の手が偶数で入るところなどだ。
つまりメロディ自体が、4拍子の小節線からズレた周期で動いている。偶数で割り切れない。ポリリズムだ。
で、この56拍の中に、メロディとは別の周期が複数のっている。太鼓や"踊りと手拍子"だ。太鼓は普通の2小節のループ。"踊りと手拍子"は1セットで11拍の振り付けのあと、3拍の手拍子(パパウンパン)。これで14拍。この14拍のパターンが4回繰り返されると、14拍 × 4 = 56拍。ぴったり頭に戻る。メロディ、太鼓、踊り手拍子の56拍、が、違う周期で回っているのに、全て同じタイミングで頭に戻る。そして全体も12小節+2小節の14小節。4小節ループで普通に感じていると2小節足りない。

電気もインターネットも電話もない時代に、日本全国でこの一見不自然な同じ土台の上に踊りが作られている。
僕も子供の頃に親に教えてもらって踊った記憶がある。意外と難しそうに見えるけど、輪の中で見様見真似で踊ってみるとすぐ踊れる。体が自然についていく感じだ。
盆踊りは面白い構造をしていて、櫓(やぐら)の周りを輪になって踊る。演奏者は櫓に乗っているが、ステージというわけではなく特にショーになっている感じではない。全体が一つの"出しもの"になっているという感覚。参加者を合わせて"盆踊り"というイベントが完成する。いわゆるライブショーではなくダンスパーティに近い。しかしもっと一体感があり、全員で一つ感が強い気がする。
踊り自体はシンプルな繰り返しの動きと手の振りで、誰でも参加できる。なのに頭がどこかすぐにはわからなくて理解するのにちょうどよく負荷がかかり、飽きずに無限ループする。盆踊りの根底にある目的は「自我を踊りの中に捨てること」らしい。無意識の踊り。自分がどう見えるかとか、上手く踊れてるかとか、そういう社会的な欲求やプレッシャーを全部手放して、ただ踊る。
これはちょっと後で音楽の話に繋がるんだけど、まぁ先に進もう。
それで最近、札幌、飛騨、川崎の盆踊りを比較して調べてみた。
もっともベースになるのは川崎。全ての盆踊りの基本を忠実に網羅している感じ。そのクオリティの高さとルールを忠実に守る姿勢は狂気を感じる。
札幌の盆踊りは、のんびりとした地元の特徴が反映されつつも意外にもきちっとしている。構成をポップ寄りにアレンジしていて、12小節のメロディ部分が8小節のバースと4小節のサビに分かれている。意外とモダンではないか。笑 バースは3小節のメロディの間に 2小節の合いの手(コール&レスポンス)で構成されていて、やはり奇数のメロディ、偶数の合いの手を守っている。そこに4小節の印象的なサビがついて、最後に2小節のリフ。合計14小節、56拍。間に合いの手を挟むことでサビをポップな4小節に収めているのがなんとも粋で同郷の音楽家としては誇らしくもあり、札幌でそんなかっこいいことしなくても、という恥ずかしさも少しある。とにかく構造として完成されていて余計なものがない。やはり「秩序の中にいる」という感覚がある。僕はこの盆踊りで育ったが、踊っていて気持ちいいのはポリリズムで頭ではすぐに理解できなくてもその秩序を体が感じ取っているからだと思う。
一方で飛騨の盆踊りは、ちょっと変わっている。飛騨のメロディは「11拍」で、やはり奇数のルールを守っているが、そもそも飛騨の曲の構造は34拍で、実は56拍の共通フレームワークに乗っていない。踊り手拍子も11拍の踊り + 1拍の手拍子 = 12拍のループで回していて、これだと34拍でも基本の56拍だとしても頭がきれいに戻ってこない。全国共通のルールをかなり自由に破っている。
ただ、この飛騨の「11拍メロディ」という特徴がすごく面白くて、僕はYATARAでこれを逆に56拍の構成に当てはめ直してみた。すると、11拍のメロディ + 1拍の休み = 12拍、つまり3小節。これを4回繰り返すと12小節。リフ2小節を足して14小節、56拍。当たり前だが踊り手拍子の「11拍の踊り + 3拍の拍手」ともぴったり同期する。飛騨が自由に破っていたルールを、逆に他の地区の共通構造に融合させたら、きれいに収まった。
で、ここから面白いことに気づいた。飛騨のブラッシュアップで出てきた「3小節メロディ」という単位が、実は札幌の構成にも当てはまる。札幌の3+2+3のバースは、3小節メロディの変化形と見ることができる。つまり3小節メロディは、盆踊りの根幹の一つになっている可能性がある。
そうやって見ていくと、盆踊りの核心にあるのはやはりポリリズムなんじゃないかと思えてくる。メロディは奇数をベースに割り切れない周期で動き、手拍子は14拍周期で小節線を跨ぎ、ドラムは2小節ループで安定供給する。全部違う周期なのに、56拍で全部が合流する。複数のズレが重なり合って、最後にぴったり揃う。これが盆踊りの気持ちよさの正体な気がする。
なんで飛騨だけルール無視しているのか。
まぁこれはまだ調べている途中だから結論は出ていない。でも「ルールがある」ということは、「ルールを破っている場所がある」ということでもあって、それが特定できるということ自体が、全国共通の構造が存在する証拠になっている。例外が証明するルール、みたいな話だ。この考察のあと、改めてこの構造を最も深く、美しく音楽にしているのはやはり川崎だと再認識する。盆踊りの時代から最強のミュージシャンは都付近にたくさんいたのだろうか。

で、ここで子供の遊びの話に戻る。
だるまさんが転んだ。これは地域によって微妙に掛け声が違う。関西だと「坊さんが塀を越えた」とか。でも遊びの構造自体は同じだ。鬼がいて、鬼が振り向いたら止まる。動いたらアウト。このルールは全国共通。
掛け声が違うのに、遊びの構造が同じ。
これは盆踊りと同じパターンじゃないか。表面的なバリエーションは地域ごとに違うけど、その下にある構造は共通している。飛騨の盆踊りが11拍構造を逸脱しているのと、「坊さんが塀を越えた」が「だるまさんが転んだ」と違う掛け声なのは、たぶん同じレイヤーの話だ。表面は違う。でも骨格は同じ。
じゃあなんで骨格が同じになるのか。
誰かが全国に広めたのか? まぁそれもあるかもしれない。でも子供の遊びに関しては、ちょっとそれだけじゃ説明がつかない気がする。譜面があるわけでもない。マニュアルがあるわけでもない。YouTubeで見て覚えたわけでもない。電気もない時代から同じことが起きている。
もしかしたら人間の体に何か共通の秩序みたいなものがあるのかもしれない。
11拍で踊ると気持ちいい体。鬼ごっこのルールを自然と思いつく脳の仕組み。「ここで止まったら面白い」と感じるタイミングが、日本全国の子供で大体一致している。これは教育の結果じゃなくて、もっと手前にある何かだ。
ここでひとつ、すごく面白い話がある。ペンタトニックスケールの話だ。