綺麗に見せる大切さ
音楽を仕事にして、16年が経った。
最近ようやく綺麗に見せる大切さを実感しだした。
というか自分のダサさに気がついた。
僕の育った時代は見た目を整えることにまだまだ否定的な意見が多かった。僕らの先輩、親世代はもっとそうだろう。
そんな上の世代に子供のころから何かあれば
『見てくればっかり気にしやがって』
とか
『外側ばかり気にしてないで中身を磨きなさい』
など言われていた。
ピアノで仕事を始めてからも、ステージでちょっと綺麗な格好をしていると
『調子こいてんじゃねーよ』
と色々なところから罵倒や馬鹿にするような声が飛んできたのを覚えている。
日本にいるときは文句の標的にならないように、あえてぼろぼろの服や地味な服を着て演奏していた。
28歳まで日本にいたが、自分の後輩が出来てからは今度は5-6個下の後輩に演奏から態度まで色々とダメ出しされていたので
今思えばただ下に見られやすいキャラだっただけなのかもしれないが
海外に行きダメ出しが止まった今でも相変わらず
自分でよく考えもせず、ずっと自分の音楽のクオリティのみにしか興味がなかった。
身なりを整えたり自分をよく見せるのは悪いことだと心のどこかで常に思っていた。
人の意見をすんなり取り入れてしまう、自分で検証もせずに『そうなのか』と信じてしまうのは僕の頭の悪いところだ。
そんなこともあってか、人に自分の音楽のよさをどう伝えるのか、自分がどう見られるのかには全く興味なかった。というか今もない。
しかしアメリカに来て、人に干渉することの少ない文化なのでむしろ自分の判断が重要になる。
綺麗な格好をしても地味な格好をしても何をしてもいいのだが、エンターテイメントがかなり盛んなのでやはりみんな自分をどう魅せるのか、どう見られるのかを”自分の意思”でとても真剣に考えている。
最近のSNSの流れで自分を魅せる能力がかなり今後の自分の活動の自由度を決めていくのは間違いないが、
僕が作る動画や写真のコンテンツはとにかくダサい。というか伝わらない。
幸いNYはどんなに見た目が悪かろうがダサかろうが、舐められるようなキャラだろうが関係ない。音楽のクオリティにはみんな本当に敏感だ。
その意味では自分をよく魅せるのが不得意な人、嫌いな人も、
自分にしかできない音楽を突き詰めていれば音楽の職人としてミュージシャンに向けた仕事をすることは可能だろう。
サイドミュージシャンとして世界トップクラスの人と仕事をすることも普通に実現する。
ビルエバンスも
『お前が唯一無二のミュージシャンならば、 倉庫でうずくまっていても誰かが探して見つけてくれる』
と言っているし、確かにそういう一面はあるだろう。
しかし昔とは違い誰にでも平等に与えられた発信の方法がたくさんあるのだからやはりそれは使わない手はない。
なんとなくオシャレ、かっこいいではなく、
自分自身の強みとターゲット層を絞りたい。
SNSのマーケティングの回でも出てきたが
やはり受け取る人が何を得るのか、どう思うのかを考えなければいけないようだ。
かと言って売れそうな音楽をやるとか、今ある需要を追いかけても意味ないので
自分のやりたいこととリスナーが喜ぶことどちらも満たすものを探す。
とりあえずマーケティングのことで出てきた内容も取り入れつつセルフブランディングの骨組みをつくってみる。
アーティストTakahiro Izumikawa としてセルフブランディングしてみる。