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ポーランド独立記念日。ピアニストが自由へ向けて立ち上がる。

2023/11/13 by 泉川貴広

ポーランドでの演奏。

到着すると街は休日ムード一色。


人で溢れ、メインストリートは歩行者天国になっている。


僕らが滞在する二日間はちょうどポーランドの独立記念日だったようだ。

演奏後に出会った現地の20代前半の若者達と朝までポズナンという街を飲み歩いてきたので、その時に聞いた話をシェアする。


アナという23歳の幼稚園の先生とバーティというバーテンダーのカップルで、ポズナン生まれポズナン育ちの生粋の地元民。


とても聡明な二人で、独立記念日ということもありポーランドの歴史的背景と政治的問題を話してくれた。


現在の政治

まず現在の政治について。

彼女らが聡明で特別政治に関心があるのか、ポーランドの若者みんながそうなのかはわからないが、特に若い女性を中心に今旧体制の政府を壊す運動がまさに起こっているようだ。


アナは幼稚園の先生をやっているだけあり子供が好きだが、子供を作る気にはなれないらしい。

ポーランド政府は子供第一主義なようで、子供を産む女性側を全く守ってくれない。


妊娠が確定した後の女性への医療行為は大きく制限され、インフルエンザの抗生物質など胎児に少しでも悪影響を与える可能性のあるものは全て違法になる。

もちろん母体に危険があるからという理由で胎児を諦めるという選択肢も違法らしい。

赤ちゃんは国の繁栄の希望だから死んでも産めということだろうか。


アフターピルも行為後の処方は認められていない。あくまでも体調管理の一貫として処方しなければいけないと言っていた。

子供ができる可能性を潰すなということだろうか。


自分の健康と体に絶対の自信がないと子供を産むことはできないと言っていた。

そんなこともあってか子供を産む時は他の国に行く人が多いらしい。


外から小耳に挟むよりも当事者はとても大変な状況だろう。

そういう体制を変えるために今まさに新体制が立ち上がり選挙が終わったところだといっていた。


結果はわからないが、まずは新しい政府になりそしてその政府がうまく今の体制を変えてほしい。長い戦いになるだろうが安心して子供を産める環境にしていきたいという。


ポーランドの歴史。123年の支配からの独立(1918年)


演奏が終わりお腹が空いたというと、街を案内しがてら美味しいピザ屋に連れていってくれるという。


寒いが空気が澄んで気持ちいい夜の街を3人で歩く。

とても綺麗な街で寒い気候もあってか地元の札幌を思い出す。


独立記念日ということもありメインストリートの店も全てしまっている。


ちょっと歩くとナイトクラブなどがたくさんある若者街があるから、そこのピザ屋なら開いているらしく歩いていると、いい感じのホテルの前を通った。


バザールホテルというホテルで、アナは


『ここは歴史が変わった場所だ』


という。


ピアニストが牽引する独立


ポーランドは長い間、周辺国(オーストリア=ハンガリー帝国、プロイセン(後のドイツ帝国)、ロシア帝国)による支配下にあった。


『国を3分割して支配されて最悪やな、ポーランド!』


って中学の時思ってたのをなんとなく覚えている。


 この時期複数の国から支配されていたからか、ポーランドの政治家と呼べる人がいなかったらしい。

そこで国内はもちろん、世界中で人気で影響力があったピアニスト、イグナツィ・パデレフスキが立ち上がり、ポーランド独立に向けて動き出す。


パデレフスキはピアノ演奏と作曲で国際的な名声を得てポーランドの文化的アイデンティティを高める。


第一次世界大戦中パデレフスキはその影響力を使い、ポーランド独立のための国際的な支持を集める。

彼は特にアメリカ合衆国での影響力を活用し、ウッドロウ・ウィルソン大統領にポーランドの独立を支持するよう働きかけた。


1918年11月11日、第一次世界大戦の終戦とともにポーランドは正式に独立を宣言。

パデレフスキはポーランドの初代首相(兼外務大臣)となる。(!)


まさに音楽の力で世界各国を味方につけ、ポーランドを独立させたということか。

音楽で世界を平和にする(この場合は国一つ)をガチでやったパデレフスキ。


半端ない。。。。


パデレフスキは1918年12月にここポズナンのバザールホテルのバルコニーに立ち、民衆に演説を行った。この出来事は、ドイツ支配に対する大ポーランド蜂起に繋がっていく。


大ポーランド蜂起(1918年12月27日-1919年6月28日)

独立が宣言された後も、ポーランドの独立と領土の完全な確立はまだ固まっておらず、特にポーランドの西部地域(特にポズナンやシレジア)では、ドイツとの間で領土の所属が未解決の状態にあった。パデレフスキの演説は、ポーランド人の民族意識を高め、ドイツの支配に対する抵抗を促進することを目的とし、これはポーランドの完全な独立と領土の統一を実現するための重要なステップだった。


『タカも世界を変えたかったらバルコニーにでて演説すればいいのよ』


といってきたので


『まず世界を変えられる演奏をしてからね』


と微笑んでおいた。


ポーランドの再支配(1939年)

よろこびも束の間、第二次世界大戦をきっかけにポーランドの再支配が始まる。


新生ポーランドは多民族国家として再建され、政治的・経済的安定を目指したが、

ソビエト連邦、リトアニア、チェコスロバキアなど周辺国との国境紛争に巻き込まれる。


ユダヤ人大虐殺とポーランド人の関係


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