真理とは
2種類にわかれる。
1俗世間的真理
世間が正しいと考える全てのもの
これはただの知識や概念で、錯覚なので実際は役に立たないものとしている。
2出世間的真理
例外のない客観的な事実。仏教で語られる真理。
俗世間的真理
ふつうの生命がそれぞれの認識範囲の中で理解するもの。
生命ごとに見えるもの、聞こえるものの範囲(自分の認識範囲のもので理解するもの)は違い、それは事実とは異なるので自分が見えているものを正しいと思い込んで行動しても失敗するとしている。
ネコが飼い主を喜ばせようと思い一生懸命ネズミを殺してプレゼントしてくるようなものかな、と思った。
なので
『Aさんは酷い人だ』
は正しくない。
『我思う、ゆえに正しい』
は間違えているからだ。
と考えるようだ。
人間は必要のない知識まで身につける生き物
毎日必死に身につけている知識は必要か?
人間は『生きているもの』として意味のない知識を増やし時間的な無駄が膨大に増えている。
苦しみもその分増えていて、知る範囲を増やすから俗世間的真理はいつも間違い、不完全だとしている。
この世は無常なので新しい事実によって古い知識はどんどんゴミになるので、必死に勉強したものも来年使えないかも、ということか。(科学的にもHalf-life of knowledgeというコンセプトで広く認識されているようだ)
新しいもの新しいものへと変化する、つまり永遠に間違えた知識で生きているのでそれに意味がない。なので知識は捨てても良いとしている。
(ここでの知識とは生きるのに”必要ない”知識、つまり哲学などの答えがでないものを永遠と考える、などのいわゆる”頭のいい人”の考えることを指していると僕は捉えた。ぐるぐると生活に必要のないことを永遠と考え学んでいる人より、スーパーでお得に新鮮な肉を買う方法を知っている方がよい、と理解しておく。)
知識、道徳は誰かの利益のため